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美しい脚の形, 美脚, The Fine Art of Photography
脚にはそれぞれ個性がある。可愛い脚、きれいな脚、美しい脚、魅力のある脚。ともかく、個人の数だけ理想的な脚はある。しかも、その特定個人の脚が、日々変化し、成長発展変化する。その一瞬をとらえて、画像作品に定着する。
いかにも難しそうだが、全然そうではない。簡単である。
この作品も、タイツ、ミニスカート、カメラ、2分間あればできる。
撮影画像作品は、被写体がすべてなのだ。美しい脚さえ、そこにあれば、簡単な創作行為である。
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この作品の脚は、手ごわいものを含んでいる。素直に言えば、見る人に媚びない、一種の拒絶である。
鑑賞者へ、抵抗し、拒絶するような、作品は、その美がどのあたりにあるのか。
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先ほど撮ったもの。この2本の線からなる網タイツは繊細なラインを意識させることにある。
美脚,美しい脚,Fine Art,Kichijoji Sakuramakoto, ; 太すぎるかもしれない。しかし、太ももは太いから太ももなので、このくらいの量感は許される範囲である。
ある種の性別無視の時期に、まれに表出する人体美の極致(トーマス・マンが言うように)としての脚である。
美脚,美しい脚,Fine Art,Kichijoji Sakuramakoto,:太もものラインは、個性がある。その美しさを表現するには、ただ素材があればいい。
写真画像は芸術ではない。複製され機械的に表現できるものは、芸術ではないのである。それはあまりに安直で軽薄で簡便である。
では写真表現に価値はあるのだろうか。価値があるとすれば、被写体である。被写体という実体が、現に目前にある。撮影画像の鑑賞は、それが「そこにあった」ことを実感すればよいのである。
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ニーハイソックスにゴシック風のワンピース、そしてガーターベルト。
ニーハイにガーターなど必要ないはずだが、縦のラインを入れたかったのだ。
若干、騒々しい図柄だが、これはこれで可愛い。
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脚の主要な役目は、体を移動させるためにある。使わなければ、脚が弛む。運動性能の劣化を防ぐには、動き続けることが必要で、持続的に脚を鍛えなければならない。
身体 を大きく移動させるような、身体全体を使った運動は、脚のためにも、健康のためにも、いいだろう。
自転車やテニスが、特に水泳が、美しい脚づくりに関連があることは、実践的事実によっている。
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美は平均にある。平均が安っぽい言葉なら、均衡、均整でもよい。
最大多数の中に美がある。
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脚は、どのような場面でも十分に美しい。一つには、均整がとりやすいという事実がある。単純な形状だが、どうやらここには、人間のもつ美のデザイン感覚の起源があるようだ。
美脚, 美しい脚,Fine Art 綺麗な脚ではあるが、何かが不足である。恐らく、カメラ位置とレンズによって、画角の影響で膝下のバランスが乱れたことが、理由ではなかろうか。しかし、右脚太ももの曲線の美しさは、合格としたい。
美脚,美しい脚,Fine Art,Kichijoji Sakuramakoto,: 昨日の撮影(2025‐03‐22撮影日)、運動や経年による肉体変化で、流麗なラインや豊かな柔らかさ、というような感じはない。どことなく、気難しいところのある、ごつごつした感じの脚である。一応、記録的な意味で出しておく。
近頃、思うのだが、撮影でファインダーを覗いていると、対象に、良い感じの美があるようだが、さて、画像を見ると、脚線の粗が目立って、どうも面白くない。美しい脚は気まぐれである。